ブラジルの伝統芸能マラカトゥとサトウキビ栽培の関係
2015年 11月 28日ジョアキン・ナブーコ財団の司書ヴィルジニア・バルボーザさんによると、マラカトゥ/の起源は明確ではないのですが、アフリカ及びインディオの文化が融合して発生したそうです。
カボクロ・ジ・ランサは、インディオが、ブラジルに入植してきた白人から自らの土地を守った戦士に由来すると言われています。両手に持つ槍は、自らの土地を守る象徴なのです。
口にくわえたカーネーションの花にも意味があります。
カボクロ達はカーニバルが始まる前にカーネーションを摘みそれぞれの願いを込めるのです。カーネーションの無いカボクロ・ジ・ランサはいちごの無いショートケーキのようなものです。
そして、このマラカトゥ発祥の背景にはブラジルの砂糖産業の歴史があります。
ポルトガル王室が1549年に国王直属の総督が直接ブラジルの植民地経営を担う総督制を導入し、初代総督トメ・ジ・ソーザが1000人の入植者を率いてバイーア州に到着しました。
この時、ブラジルの首都はバイーア州のサルバドールに定められました。
総督制により、本格的な植民地経営を進めた結果1570-1670年代の一世紀の間、ブラジルにおける砂糖産業は目覚ましい発展を遂げました。主な生産地は首都のあるバイーア州とその北に位置するペルナンブーコ州等の北東部でした。
サトウキビ栽培で富を築いた領主たちはセニョール・ジ・エンジェーニョと呼ばれました。エンジェーニョとはもともとはサトウキビの搾汁機械のことですが、当時、サトウキビの搾汁機械は非常に高価であり、所有できる農園主が少なかったそうです。このことから、エンジェーニョが、サトウキビ農園のことを指すようになり、農園主がセニョール・ジ・エンジェーニョと呼ばれるようになったそうです。
農園主たちは労働者を農園内に住みこませていたのですが、この労働者たちがマラカトゥ・フラウという文化を形成して来たと言われています(次ページへつづく)。
(文/唐木真吾、写真/Daniel Tavares/PCR)
写真は2015年2月15日、ペルナンブッコ州ヘシーフィ市のカーニバルに出演したマラカトゥ・バッキ・ソウトのグループ