ブラジルの新鮮なニュース、コラムを独自の目線から楽しくお届けします。もっとブラジルのことを知ってもっと好きになろう!

ブラジルの伝統芸能マラカトゥとサトウキビ栽培の関係

マラカトゥ・バキ・ソウト

ジョアキン・ナブーコ財団の司書ヴィルジニア・バルボーザさんによると、マラカトゥ/の起源は明確ではないのですが、アフリカ及びインディオの文化が融合して発生したそうです。

カボクロ・ジ・ランサは、インディオが、ブラジルに入植してきた白人から自らの土地を守った戦士に由来すると言われています。両手に持つ槍は、自らの土地を守る象徴なのです。

口にくわえたカーネーションの花にも意味があります。

カボクロ達はカーニバルが始まる前にカーネーションを摘みそれぞれの願いを込めるのです。カーネーションの無いカボクロ・ジ・ランサはいちごの無いショートケーキのようなものです。

そして、このマラカトゥ発祥の背景にはブラジルの砂糖産業の歴史があります。

ポルトガル王室が1549年に国王直属の総督が直接ブラジルの植民地経営を担う総督制を導入し、初代総督トメ・ジ・ソーザが1000人の入植者を率いてバイーア州に到着しました。

この時、ブラジルの首都はバイーア州のサルバドールに定められました。

総督制により、本格的な植民地経営を進めた結果1570-1670年代の一世紀の間、ブラジルにおける砂糖産業は目覚ましい発展を遂げました。主な生産地は首都のあるバイーア州とその北に位置するペルナンブーコ州等の北東部でした。

サトウキビ栽培で富を築いた領主たちはセニョール・ジ・エンジェーニョと呼ばれました。エンジェーニョとはもともとはサトウキビの搾汁機械のことですが、当時、サトウキビの搾汁機械は非常に高価であり、所有できる農園主が少なかったそうです。このことから、エンジェーニョが、サトウキビ農園のことを指すようになり、農園主がセニョール・ジ・エンジェーニョと呼ばれるようになったそうです。

農園主たちは労働者を農園内に住みこませていたのですが、この労働者たちがマラカトゥ・フラウという文化を形成して来たと言われています(次ページへつづく)。

(文/唐木真吾、写真/Daniel Tavares/PCR)
写真は2015年2月15日、ペルナンブッコ州ヘシーフィ市のカーニバルに出演したマラカトゥ・バッキ・ソウトのグループ

■関連記事
浅黒い肌をしたサンタが顔を白く塗るブラジルのクリスマス
日本で暮らすブラジル人たちの素顔に迫る映像ドキュメンタリー・シリーズ「O Outro Lado do Mundo・軌跡 ~在日ブラジル人の25年~」第五話「新しい道」公開
ジウマ大統領、リオ五輪期間中の外国人入国ビザ免除を公式に認可
決壊した鉱山廃水貯蔵ダムの汚染泥土、大西洋岸に到達。ウミガメなど海洋生物への影響の懸念高まる
快適な睡眠を約束してくれるブラジルのホテル10選

1 2 3
このエントリーをはてなブックマークに追加

著者紹介

1982年長野県生まれ。東京在住。2005年に早稲田大学商学部を卒業後、監査法人に就職。2012年に食品会社に転職し、ブラジルに5年8カ月間駐在。2018年2月に日本へ帰国。ブログ「ブラジル余話(http://tabatashingo.com/top/)」では、日本人の少ないブラジル北東部のさらに内陸部(ペルナンブーコ州ペトロリーナ)から見たブラジルを紹介している。