ブラジルプリンにコンデンスミルクが使われる理由とは?

2023年 01月 3日

IMG_9814
ブラジルプリン(プヂン、プジン)(写真提供/麻生雅人)

ブラジルには堅めのものからクリーム状、フルーツ味から塩味まで、さまざまなタイプのプリン(プヂン、プジン)がある。しかし、最もポピュラーなプリンといえば、コンデンスミルク(練乳)を使ったプヂン・ジ・レイチ・コンデンサード(Pudim de leite condensado)だろう。

しかしブラジルでは、なぜコンデンスミルク使うプリンが主流なのだろうか。

「おいしいブラジル」などの著書もあるブラジル食文化研究家の麻生雅人(「Mega Brasil編集長」)によると、ブラジルでコンデンスミルクがプリンに広く使われるようになったのはおそらく1960年代以降のことで、伝統的なプリンには使われていなかったという。

「プリンはブラジルへは、植民地時代にポルトガルから伝えられました。19世紀のプリンは“プヂン・マルフィン(象牙色のプリン)”と呼ばれる、卵、小麦粉、砂糖、牛乳、バニラビーンズを使ったプリンが主流だったと考えられています。1840年に刊行された、ブラジルで最初の料理レシピ本『皇帝の料理人』に登場するプリンも生クリームを使ったプリンです。コンデンスミルクがブラジルに上陸する前のものです」(麻生雅人・Mega Brasil編集長)

それでは現在のようにコンデンスミルクを使ったレシピは、いつごろ登場したのだろう?

「ブラジルに輸入されたコンデンスミルクの記録は、今のところリオデジャネイロの食料品店の1871年の記録が最古と言われています。1921年には国内に製造工場も作られたので、コンデンスミルクを使ったプリンがその頃からあった可能性は否定できません。しかし、現在のように広く普及したのは1960年代以降ではないかと思われます」(同)

ブラジルでコンデンスミルクが普及するきっかけを作ったのは、外資系企業のネスレなのだとか。

「スイスの企業ネスレのコンデンスミルクがブラジルに上陸したのは1890年。当初は英語圏で展開していた『ミルクメイド』という商品名でした。最初の工場がサンパウロ州に作られた1921年からは、ポルトガル語名の『レイチ・モッサ』になり、100年経った今もこの名前で親しまれています。このネスレの製品『レイチ・モッサ』の存在感は、日本をはじめ他の国におけるコンデンスミルクの立ち位置とは全く異なり、今ではブラジルの食生活に欠かせない存在にすらなっています。プリンはもちろんのこと、タルト、ケーキ、クッキー、チョコ菓子など家庭で作る多くのデザートに使われているほか、それにとどまらず、お酒のカクテルやフルーツサラダに使うレシピもポピュラーです」(同)

IMG_9822 (2)
ブラジルで最もポピュラーなコンデンスミルク『レイチ・モッサ』。缶にプヂンの図版が使われているヴァージョン(画像提供/麻生雅人)

つまりブラジルでは、プリンに限った話ではなく、コンデンスミルク自体がどっぷりと生活に根差しているのだ。

「サンパウロ大学の研究チームが2021年に公表した資料によると、ブラジルは世界最大のコンデンスミルクの消費国で、ネスレ社の『レイチ・モッサ』は毎秒7缶、1年で2億2000万缶が消費されているそうです。2020年に報じられた市場調査企業Kantar IBOPEの調査結果では、ブラジルにおけるコンデンスミルクの1人あたりの消費量は年間6.4㎏で、国内にある家庭の94%が消費しているとのことでした。チョコレート菓子『ブリガデイロ』や、ビスキュイとクリームがミルフィーユ状の層になった『パヴェ』など、プリンと並ぶブラジルの代表的なスイーツにもコンデンスミルクは欠かせません。コンデンスミルクを使ったスイーツのレシピは数え切れないほどあります」(同)

余談だが、2021年の年初には、コンデンスミルクは政権批判の材料にもなった。

「2020年度の連邦政府の支出で食糧が非常に多かったことでボウソナーロ大統領(当時)が大きな批判を浴びましたが、中でもコンデンスミルクの支出が約1500万レアルだったことが国中で大ニュースになりました」(同)

それほどまでにコンデンスミルクがブラジル人の生活に根差している背景にはネスレ社自体が大きく関係しており、コンデンスミルクを使ったプリンの発案者がネスレ社である可能性も指摘されているという。

「1960年代からネスレ社が行った大規模なキャンペーンが、ブラジル独特のコンデンスミルクの市場を作ったと複数の識者が指摘しています。2014年に権威あるジャブチ賞にもノミネートされた食文化・食の社会史の研究者デボラ・サントス・ヂ・ソウザ・オリヴェイラさんの調査で、ネスレ社がブラジルの全国規模でコンデンスミルクを使ったレシピを作って広めるために行った大規模なキャンペーンが、都市部で生活する中産階級のブラジル人の需要やライフスタイルにドンピシャに応えたことや、そのキャンペーンの巧みさが、コンデンスミルクを浸透させ、ブラジルの食のレシピを大きく変えていったことが指摘しています。この調査によると、製品のプロモーションのためにメニュー開発を行うネスレ家政経済センターが『レイチ・モッサ』を使ったプリンを作ったのが1959年で、1961年から70年代にかけて、キャンペーンが行われたことが明かされています。牛乳を煮詰める時間を大きく省けることもあり、コンデンスミルクを使ったプリンはブラジルの家庭やお店で主流となっていったと考えられます」(同)

伝統的な材料がコンデンスミルクに取って代わられたのはプリンだけではないという。

「現在ではコンデンスミルクを使った代表的なお菓子のひとつである『ベイジーニョ』も同様です。ベイジーニョのルーツはポルトガルの修道院で生まれた、アーモンドと砂糖シロップで作られる『ベイジョ・ヂ・フレイア(修道女のキス)』。ブラジルに伝わりココナッツが使われるようになりましたが、コンデンスミルクが使われるようになったのは1960年代以降と見做されています」(同)

経緯はともかくブラジルでは今ではコンデンスミルクを使ったプリンが最もポピュラーなプリンとなっている。そしてその味は我々を魅了する。ブラジルで生まれ育った方はもちろん、ブラジルに駐在した方、旅した方にとっても、忘れれない味なのだ。この味が日本で手軽に食べられるようになる日が近いかもしれないと思うとわくわくする。

(文/加藤元庸)