【コラム:ブラジルとともに 1】シンプルに暮らし、自由に生きる、それが一番いい

2024年 05月 9日

●mega Brasil JB農村クラブ インコ ジャボチカバB
樹齢45年のジャボチカバにやってきたインコ(画像提供/末吉業幸)

庭に植えている2代目のレモンタイチに真白い綺麗な花が咲き朝早くからブーン、ブーンとミツバチが群がりハチミツを集めている。樹齢45年のジャボチカバは勢いが衰えず、夏は2ヵ月毎、寒い季節には2ヵ月半毎に、色は黒真珠、大きさはミニトマトより少し大きい甘い果実がとれる。

リンナイの湯沸かし器が急に点火しなくなったので、業者を呼び中を開けてみたら、なんとアリとミツバチが、基盤においかぶさるほどの大きさの巣がつくっていたので、ビックリ仰天!

そういえば、以前にも地下駐車場の2階カフェサロンに置いていたテープ、DVつきのラジオにハチが群がるので一世アミーゴの家電修理屋に見てもらったら、2台のスピーカの周りにハチの巣が作られていたことがあった。アリとミツバチは基盤の蝋がお気に入り。

30数年のお付き合いの間柄のアミーゴから、新品のスピーカに取り換えたょ~と電話があり、取りに行った。カネを払うから、いくらかと聞くと、いいじゃんと受取らなかった。

田舎に住む妻の兄弟、または田舎にセカンドハウスをもっている兄弟親族が野生アボカド、バナナ、ポンカン、ラランジャリマ、渋柿、山イモ,ヤコンなどを届けてくれることがよくある。私は日本にしかない粉末納豆菌、北海道昆布、乾燥ノリを上げている。もらったからお返しに上げるのではなく、あるものを互いにゆずりあうシンプルのお付き合い。

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元旦には親族で料理を持ち寄って昼食会(画像提供/末吉業幸)

ブラジルの元旦は夏、ブラジル全土から70人ほどサンパウロ市の兄弟の家に集まり、毎年元旦昼食会をしている。

セアラー州のフォルトレーザ、ブラジリア、サンタカタリーナなど遠くに住む妻の兄弟親族は地元の珍しいフルーツを持参、サンパウロ近郊、市内に住む兄弟は手作り料理の持ち寄り、テーブルにはイタリア、スペイン魚料理、ポルトガル、日本料理が並び豪華、雑談を交わしながら新年を祝いながら料理を食べている。妻の兄弟は12人、男7人、女5人。

皆それぞれ専門職をもっているがシンプルな暮らしをしている。雑談ではカーニバルは話題には乗らず、暮らしに潤いをもたらずテーマが多い。ブラジル文化のおおらかさかのサーフィンに乗っているような、肩の凝らないお付き合いはいいものだ。

サンパウロに戻り、サンパウロのセカンドハウス、ブラジル村を沖縄に造成中、とポルトガル語のメールで、開墾・植えたアボカド、ジャボチカバ、レイシ、バナナの写真を添えて伝えたら、何時できるか、日本へ行く楽しみが一つ増えた、とうれしい返事が来た。

ちィ~と硬い話しになりますが大陸の国ブラジルにいい暮らし、自由を求め移住しブラジルとともに生きた日本人の史実の中にこれからの日本の道を決めるキーワードがあると日本を代表する経営者が語った言葉が脳裏に刻まれている。

大宅壮一(1900~1970)が語った名言『明治の日本がブラジルにある』、これを振り返り考えてみる必要がある。日本であれ、または住む国・地域に関係なく、シンプルに暮らし、自由に生きる、それが一番いい。

(文/末吉業幸)

著者紹介

Nariyuki Sueyoshi 末吉業幸

Nariyuki Sueyoshi 末吉業幸
沖縄県名護市生まれの団塊世代。生まれ故郷で18年、東京で約10年暮らし、29歳の時に、新天地ブラジルへ東京JICA工業移住者として移住。2024年9月に47年を迎えます。妻は日系2世で同じ職業。

移住一年後に、昼間サラリーマンとして働く傍ら、夜はファリアリマ通りに家電販売修理店舗を設立。以後コンピユ―ターコンサルタント、本業のほかにも、セラード農業への個人投資、日系コロニアのボラティアも経験しました。ジョアン・フィゲレード大統領の補佐官(日系第一号の大統領補佐官)と知友になれたことで、公的交友の道へ歩む幸運に恵まれたとも言えます。

信条の第1は健康であること。第2は貧乏を寄せ付けない財産を持つこと。第3は良き隣人を持つこと。第4が仕事の成功。第5が心を豊かにする趣味をもつこと。シンプルに暮らし、自由に生きてきた、どこにでもある生き方。これからも同じ生き方をしていくつもり。
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